蒼山という男は、他の人にはともかく、俺にだけはなんでも話してくれる。それが今回に限って、やけに含みのある表情と言葉を残すだけで、何があるのかはっきり教えてくれなかった。
おまけに最近は、外で会うよりも、互いの家に行き来するのが当たり前になっていた。というのも、月の半分以上は、どちらかの家で過ごしているためなのだが──。
そこまで思い出した瞬間、頭の中にふと昨夜のことが蘇る。
いつものように、借りてきたDVDを観ながら、感想を言い合っていた。シナリオの出来やカメラのアングル、役者の演技に至るまで、一端の評論家気取りで自分の意見を述べるのだ。
俺と蒼山の好みは、根本部分では異なっている。昨日の作品は特にその隔たりが大きくて、つい白熱してしまった。どちらも引かず、収拾がつかなくなりそうだったそのとき──突然になんの前フリもなく、キスされた。
あの島から戻って以降、俺たちの関係は変わった。恋人で、キスどころか、それ以上のこともしている。にもかかわらず、論争を遮っての乱暴なキスには、さすがに俺も驚いた。
舌の動きも乱暴で、吸われる力も強かった。どうしたのかという俺の問いに答えることなく、蒼山はかなり強引に俺の中に入ってきて……思い出した瞬間、頬が熱くなり、体の芯が燃えるような感覚を覚えた。
(何を考えてんだよ、俺……)
街中で思い出すようなことではない。俺は頬を軽く叩いたあとで、蒼山が待ち合わせに指定した代官山の喫茶店へ向かう。
「いらっしゃいませ」
明るい声に迎えられ、店内を覗くと、すでに蒼山がいた。
店の奥で、雑誌を真剣に読んでいるせいか、俺の到着にも気づかない。指に挟まれている煙草も、すっかり灰が長くなっている。夢中になったときの蒼山の癖だ。俺と一緒にいるときでも変わらない。
だから俺はできるだけ蒼山を驚かさないようにそっと近寄り、火傷をする前に煙草を指から抜き取った。
「……っ、瞭」
「何をそんなに一生懸命読んでいたんだ?」
手元にある雑誌を覗き込む。と、去年、俺たちが作品を出品した映画コンクールの記事が出ていた。
「なんで今さらそんな記事が出てるの? 最近の雑誌だろう?」
「学生の映画作品について、という特集なんだ。瞭にもアンケート依頼が出版社から来ていたの、覚えていないか?」
蒼山は雑誌を閉じ、表紙を俺に向けてくる。
「そういえば、なんとなく……」
はっきりは覚えていないが、一か月ほど前に、メールでアンケートに答えた覚えがあった。
「なんとなく、ね。瞭らしいな」
その返答に、蒼山は苦笑を漏らす。
「え、何? 俺、変なことを言ったかな」
「いや。ただその話、これから会う人には言わないでもらえたらありがたい」
「う、ん……それは言わないけど……これから誰かに会うのか?」
「言わなかったか?」
伝票を手に立ち上がった蒼山は、驚いたような視線を俺に向けてくる。
「その記事を書いた人に会う予定になっているんだ」
「え──?」
俺は改めて蒼山の持っていた雑誌の表紙を見つめる。そこにある名前をざっと眺め、一人の人の名前で止まる。
『ショートフィルムにおけるアマチュアリズム プロデューサー・宇野陶生』
海外のバンドのプロモーションビデオや、日本でも独特の着眼点から作ったショートフィルムが注目されている、映像作家兼プロデューサーだ。広告代理店に所属していて、コマーシャル制作が本職のはずだ。
「知らないよ、そんな話」
「それは悪かった。詳しいことは、直接宇野さんから聞いてくれ。とにかく今は場所を移ろう」
全く悪びれることなくそう言って、蒼山は歩き出す。
「今日、スーツを着てくるように言ったのも、宇野さんと会うから?」
「そう。なんか、美味いモン、食わせてくれるらしい。和食かな、洋食かな」
蒼山は実に楽しそうに言うが、俺にはそんな余裕はなかった。
あの、宇野陶生が、俺たちに一体なんの用があるというのか。蒼山とはどんな関連で知り合ったのか。
これだけ近くにいながら、俺は全然知らなかった。
不安と、嫉妬と、困惑と、様々な感情の入り交じった状況で、とにかく俺は蒼山の後をついて、宇野と待ち合わせをしているというホテルのラウンジへ向かった。
高い天井から下がる豪華な照明や雰囲気に萎縮していると、蒼山に気づいて立ち上がる人の姿が見えた。
背広姿を着こなしたその男の顔を、俺ははっきり覚えていた。宇野陶生、その人だ。
「宇野さん、こんにちは」
「こんにちは。わざわざ呼び出してしまって済まないね」
「いえ、こちらこそ。こういう機会を頂けるだけでありがたいです。瞭、こちら、宇野さん」
紹介されて、俺は慌てて頭を下げる。
「赤井瞭です。はじめまして」
体中、緊張してカチコチの状態で、早口に自己紹介して頭を下げる。
「こちらこそ、はじめまして。よく名前は蒼山くんや他の人からは聞いています。僕は、宇野陶生と言います」
背広の胸ポケットから取り出した名刺を差し出される。
「ありがとうございます」
それを慌てて受け取る。
「立ち話もなんだから、座って。何か注文しよう。食事はこのホテルの上の店を予約してあるから、ここではとりあえず飲み物だけにとどめておいてもらった方がいいだろう」
「俺はコーヒーを。瞭もそれでいいか?」
「うん……じゃなくて、はい」
俺の様子を見て、宇野はおかしそうに笑う。
「そんなに緊張しないでいいんですよ。立場としては、こちらが頭を下げる方なんですから」
「頭を、下げる……?」
訳がわからず、俺は視線を蒼山に向ける。
「すみません。俺からは話をしていないんです」
「いや、それなら、新たに決まったことを含めて、君たち二人に話をさせてもらいましょう。蒼山くん、赤井くん。実は君たちが去年作った作品『そして僕らは……』を、我が社で制作予定のコマーシャルに使用させてもらいたいと思っているんです」
「コマーシャル?」
心臓が、大きく鼓動する。
「とある飲料メーカーが、若者を対象に新製品を作っています。その作品コンセプトと、君たちの作品のイメージが、非常に合致していたんです。先方の担当者に参考までに、他の作品と共に見せたところ、ぜひ君たちの作品を使いたいという申し出がありまして、蒼山くんにまず、打診をした次第です」
「そう、だったんだ……」
「あくまで打診の段階だったから、俺はまず瞭と一緒に、詳しい話を聞いてから返事をしたい、と伝えていた」
驚く話を聞かされながら、蒼山はまるで態度を変えていない。
「実は当初、作品のみをもらって、新たにうちの方で撮り直す案もあったんです。が、テストとして試してみたものの、やっぱり君たちの作った物とは微妙なニュアンスが違ってしまうんです。それで、コマーシャルという短い時間の物であるため、若干加工を必要としますが、使用させて頂けるか否か、考えてもらいたいと思っています」