小説:ふゆの仁子
絵:あるまじろう



1.

 内壁を引きずりながら熱を抜かれると、強烈な脱力感が体中を襲ってくる。

「……く……っ」
「締めつけんなよ」

 条件反射のように力が腰に入ってしまうのを、背後にいた藤堂聖人は、銀フレームの眼鏡の下で瞳をやや細めた。 口角を僅かに上げ、ベッドの上に這い蹲る格好で、顔だけ後ろに向けた俺──赤井瞭を揶揄するように。

「そんな風にがっつかなくても、すぐにまた可愛がってやるからさ」

 からかう藤堂は、たった今まで俺の腰奥深くまで穿っていたとは思えないほど淡々とした態度を見せている。ジーンズのファスナーを上げ、素肌の上に無造作にシャツを羽織り、ベッドサイドに置いてあった煙草に手を伸ばした。
 箱の上を叩いて飛び出した煙草を銜え、銀色に光る細身のライターで先端に火を点けた。ゆっくり味わうように吸った煙を、同じだけゆっくり吐き出すと、煙草の箱を無造作にこちらに向かって伸ばしてくる。

「吸うか?」

 だが、藤堂が声を掛けたのは、シーツにうつぶせに突っ伏している俺ではない。その隣で胡乱げな表情を見せ膝を立てた状態で座っている蒼山修平だ。蒼山は額に落ちた前髪を無造作に拭いながら藤堂の申し出を無言で拒み、絨毯に放り出していたジーンズを拾い上げ、細い足を突っ込んでいく。

「セックスの間は饒舌なくせに、終わっちまったあとは俺とは話したくねえのか?」

 藤堂は蒼山の横顔を眺め、喉の奥で冷ややかに言い放つ。だが蒼山はそれに対してもなんの返答もしない。

「俺はシャワーを浴びてくる。その間、適当にしててくれ。あんまり遊びすぎるなよ──そんな余力があればの話だが」

 最後、口元に浮かんだ笑みが、俺に向けられたものか、それとも蒼山に向けられたものかはわからない。ただとにかく藤堂はそう言い残して、部屋を出ていく。

 パタンと扉の閉まる音がして、広い寝室には俺と蒼山の二人が残された。
 蒼山は、全裸の俺から視線を逸らすように、背を向けてベッドの端に腰を下ろしている。

 藤堂と蒼山、そして、俺。爛れきったこの関係は、島から戻ってからも続いている。
 今日もそうだ。藤堂から連絡が入り、彼の住むマンションに訪れたらすでに、蒼山がいた。
 ほとんど会話もなく、藤堂に促され、煽られるままに、セックスに雪崩れ込んだ。
 繰り返し口づけられ、下半身を嬲られ、腰に楔を打ちつけられた。藤堂も蒼山も、容赦ない。俺がやめてくれと訴えても聞く耳をまるで持たず、気絶しかかっても強引に引き戻されるのだ。

 藤堂は行為の間中、言葉でも俺を煽る。それにつられるように蒼山も熱くなるが、ひとたび行為が終わると、まるで他人のように素っ気ない態度を見せる。特に二人だけになると、視線を合わせようともしない。
 無言のまま突きつけられる背中が、冷たい。

「修平……」

 ため息混じりに名前を呼んで、俺はベッドにだるい体を起き上がらせる。蒼山はそれに気づいて、慌てて立ち上がった。

「まだ無理をしないで寝ていたほうがいい。水がいるなら俺が……」
 それが、まるで俺から逃げているように思えてしまう。だから俺は、咄嗟に蒼山の腕を掴んだ。
「瞭──」

 俺を見下ろす蒼山の瞳が、大きく揺れる。躊躇、困惑、苦渋。様々な感情が混在した表情に、心臓を素手で鷲掴みされたような痛みを覚えた。

「もう、やめよう」

 その痛みを堪え、俺は口を開く。
「やめるって、何を」
「こんな、関係」

 今のこの状態をどう言えばいいのかわからなくて、俺は曖昧に言葉を濁した。それだけで、蒼山には俺が何を言いたいのか、伝わったらしい。だが眉を寄せ、微かに唇を動かしただけで何も言わない。

「修平だって、このままでいいと思ってるわけじゃないだろう?」

 僅かなもどかしさを覚えつつ、俺は少し声を荒げる。ベッドに跪き、蒼山の腕を痛いほどに握り締める。掌に伝わる温もりは俺にとって信じられる唯一のもの。

「俺の気持ちを──否定するのか」

 微かに空気を震わせた言葉が、鼓膜に届く。俺は小さく首を左右に振って、掴んでいた手の甲にそっと額を押しつける。

「そういうわけじゃない。でも……こんなのはおかしい。俺が言ったら駄目かもしれない。でも……誰かが言わなかったら、終わらない」

 すべてを否定したいわけではない。だが、正直なところ、俺はぎりぎりのところにまで追い詰められていた。
 体も、そして、何より心が──。それは間違いなく、蒼山も同じはずだ。高校時代からの友人であり、誰より俺をわかっていてくれるはずの男が、俺を避けているのが、その理由に違いない。

「──瞭の言うことが、わからないわけじゃない」
「修平……っ」
「だが、言うべき相手が間違っている」

 咄嗟に上げた俺の顔を細めた瞳で見つめ、小さな声で続ける。

「この関係を言い出したのは俺じゃなくて、藤堂だ。終わらせたいのなら、藤堂に言うべきじゃないか」
「言ったよ!」

 東京に戻ってから、藤堂にベッドに引きずり込まれるたび、蒼山の顔から笑顔がなくなるのを見るたび、俺は何度も言った。

「でも、藤堂はまともに取り合ってくれなかった。やめてどうするって、煙草を銜えたまま笑われただけだ。それから、やめられるのかって逆に聞かれて……」

 強引に唇を塞がれ、抵抗する気力を根こそぎ剥いで、気づけば組み敷かれてしまう。
 俺以上に俺の体を知り尽くした男の愛撫に理性を溶かされ、意識が飛び、藤堂の思うままの言葉を口にしてしまうのだ。

「やめるとは言えなかったのか?」

 大きなため息ののちに問われて、唇を軽く噛んで俯いた。

「藤堂には最終的にはやめると言えなかったのに、俺に対しては終わらせようと言う。それはつまり、俺が邪魔だということか?」
「違う」

 慌てて頭を上げた。

「否定したところで、結論は同じだ。お前は俺よりも藤堂を取るんだ」
「違う!」

 強く首を左右に振る。

「何が違う? そういうことじゃないか。自分で終わらせられなくて、藤堂には言えなくて、でも俺になら言えるんだろう?」
「違う。修平とだけ終わらせるわけじゃない。藤堂とも……こんな関係は終わらせるつもりでいるんだ」
「できるのか?」

 答えた俺に間髪入れず、蒼山は聞いてくる。

「修平……」
「前から確認しようと思ってたんだ」

 蒼山は表情を苦痛に歪めたまま、静かに言葉を紡ぐ。

「藤堂のことを、どう思ってる?」

 蒼山の瞳からは冷たい感じを覚えた。

「え……?」

 どきりと心臓が鼓動する。

「瞭のことだ。藤堂がいくら強引だとしても、嫌いな相手といつまでもセックスできるわけがない」

 藤堂のことを、どう思っているのか──蒼山に問われるよりも前からずっと、自分の気持ちについて考えている。

 映画の撮影のために島に行っている間、いや、それよりも前からずっと、藤堂だけはどうしても赤井の理解を超えたところで存在していた。
 藤堂流に言うならば、育った環境の違いによる価値観の相違なのだから、理解できるわけがない。どうしても理解したいのであれば、己の価値観を崩せと言われた。そしてその結果が今の状態だ。

 蒼山の言うとおり、なんの興味も好意も抱いていなければ、元々、同じ男である藤堂に抱かれたりはしない。嫌いなのかと問われれば、否と答えられる。だが、好きなのかと問われると、まだどう答えたらいいのかわからない。

「答えられないなら、質問を変える。俺のことはどう思ってる?」

 蒼山は悩んだままの俺に、次の問いを投げかけてくる。